場所・地名
シャーレアン(しゃーれあん/Sharlayan)
キャンプ・ブリトルバークの駐在員は「シャーレアンの都が失われた」とコメントしているが、どういった意味で言っているのかは不明である。

そもそもシャーレアンが失われたのは「いつ」であるのかという大きな問題がある。
10年前、15年前といった、蛮神やガレマール帝国の関係であるなら特に、なぜアラミゴの事件のように他国民の口に上らないのが不自然である。
10年前、15年前といった、蛮神やガレマール帝国の関係であるなら特に、アラミゴの事件のように他国民の口に上らないのはなぜなのかが描かれておらず、不自然である。
古書「五紀暦」の記述を信じるならば233年にシャーレアンと呼ばれる何かが存在していたことは確定する。
また、1506年に書かれ、以後加筆を繰り返したとされるエオルゼア全図にシャーレアンが描かれている以上、少なくとも地図作成者は該当地域にシャーレアンが存在する、あるいは存在すべきと考えていることが伺える。
そもそもキャンプ・ブリトルバークの支援都市国家がどこなのかも不明である。「シャーレアンの都が失われた」という言葉自体を信じていいのかという点も検証すべきなのかも知れない。
そもそもキャンプ・ブリトルバークの支援都市国家がどこなのかも不明である。「シャーレアンの都が失われた」という言葉自体、鵜呑みにしていいのかという議論もある。
また、ブリトルバーク駐在員が飛空艇の話題と共に口にしている点は、時期やそのニュアンスを特定する上で注目すべきかも知れない。

物理的に「都市」が失われたものの、領土、影響力、国民、文化、国家機能の全て、あるいは一部が残った、と考えることもできるかも知れない。