場所・地名
シャーレアン(しゃーれあん/Sharlayan)
そもそも「いつ」シャーレアンが失われたの、という大きな問題がある。
10年前、15年前といった、蛮神やガレマール帝国の関係であるなら特に、なぜアラミゴの事件のように他国民の口に上らないのかが大き過ぎる疑問となる。
古書「五紀暦」の記述を信じるならば233年にシャーレアンが存在していたことは確定する。
また、1508年に書かれ、以後加筆を繰り返したとされるエオルゼア全図にシャーレアンが描かれている以上、少なくとも地図作成者は該当地域にシャーレアンが存在する、あるいは存在すべきと考えていることが伺える。
また、1506年に書かれ、以後加筆を繰り返したとされるエオルゼア全図にシャーレアンが描かれている以上、少なくとも地図作成者は該当地域にシャーレアンが存在する、あるいは存在すべきと考えていることが伺える。
そもそもキャンプ・ブリトルバークの支援都市国家がどこなのかも不明である。「シャーレアンの都が失われた」という言葉自体を信じていいのかという点も検証すべきなのかも知れない。
また、ブリトルバーク駐在員が飛空艇の話題と共に口にしている点は注目すべきかも知れない。